丸山城(能勢)

丸山城
丸山というこんもりとした山があり、ここに能勢氏の山城がありました。
能勢氏は多田源氏の流れをくみ摂津を代表する御家人で、鎌倉時代は田尻や野間などの地頭職をしていました。室町時代は代々足利将軍家に仕え、将軍家直属の奉行衆でした。戦国期は摂津守護細川京兆家の被官であり、応仁の乱では東軍の細川勝元に味方し能勢頼弘らが討死します。
源満仲から数えて22代目にあたる能勢頼通は、京へ上洛した織田信長に対抗したため、信長の命を受けた塩川氏(能勢・山下城)によって殺されてしまいます。能勢氏では、頼通の弟の能勢頼次を後継として戦いますが、丸山城は落城し、居城を為楽山(いらくさん:現在の妙見山)に移します。
能勢は亀岡に近く、能勢頼次は明智光秀と親しい関係であり、また兄が信長に殺されたことから、本能寺の変が起こった時には、明智光秀に味方しますが、光秀が秀吉に敗れたことから備前岡山へ落ち延びます。
丸山城はきちんと整備されており主郭からは地黄の街並みを一望できます。

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