倉敷の街を見下ろす鶴形山にあるのが阿智神社。応神天皇の時代に渡来した阿知使主(あちのおみ)が住み着いた場所として伝わっています。阿知使主は古代氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の祖となります。東漢氏といえば乙巳の変で蘇我蝦夷、入鹿の蘇我本家が滅ぶ時に最後まで付き従って戦いました。この東漢氏が後に長尾氏となり、戦国時代に生まれたのが長尾景虎。そう、あの上杉謙信です。
■小野ガ城はどこだ?
さて阿智神社で見つけたのが城山稲荷。また倉敷代官所があった倉敷アイビースクエアで見つけたのも同じ城山稲荷です。倉敷アイビースクエアの説明版には戦国時代に小野ケ城という砦があったと記載されていましたが、どうも怪しい。城山稲荷となっているので城山にもともとあったのだろうと登ったのが倉敷アイビースクエアの隣にある向山。お墓や住宅地として開発されており山城の遺構はありませんでした。
となると阿智神社がある鶴形山が戦国時代の砦跡なのかなあ。同じく城山稲荷はあるし、神社境内になっていますが削平地なんで大きな砦を作ることができます。写真は倉敷アイビースクエアで右手に見えるのが阿智神社のある鶴形山です。