奈良時代、天然痘によって藤原四兄弟が次々と亡くなり、藤原氏の影響が落ちたことで頭角をあらわしたのが橘諸兄。東大寺の大仏で有名な聖武天皇の補佐を行います。
藤原氏復権のため九州で藤原広嗣の乱が起きます。この時に有名な聖武天皇の伊勢行幸が始まります。天武天皇の壬申の乱をなぞった道筋で、古代史の大きな謎になっています。聖武天皇は結局、平城京には戻らず、恭仁宮遷都が行われます。さらに奥に入った紫香楽宮で大仏建立の詔が行われます。
橘諸兄の本拠地である井手町から恭仁京はすぐ近くで、聖武天皇も井手町にある玉井頓宮を訪れています。橘諸兄旧跡といっても碑だけですが丘の上にあり、竹林がなければ井手町を見下ろせる絶景の場所にありました。
息子が藤原仲麻呂と対立し橘奈良麻呂の乱を起こしますが計画が事前にばれ、処分されます。弓削道鏡(恵美押勝)の時代になったことで、今度は藤原仲麻呂の乱が起きます。そういえば去年、八尾で弓削道鏡の由義宮跡がとうとう発見されたというビッグニュースがありました。