応仁の乱の原因の一つになったのが畠山政長と従兄の畠山義就との家督争い。畠山家は室町幕府の管領で河内・紀伊・越中・山城の守護でした。畠山政長の居館「畠山館」があった場所が広川町の養源寺になっています。守護館で一角に養源寺堀が残っていて石垣は畠山時代のものだそうです。
江戸時代になると紀州藩主徳川頼宣がこの地に藩主別邸「広御殿」を作ちました。今日、ジュンク堂へ行ったら「和歌山の近世城郭と台場(戎光祥出版)」が出ていて、図説 日本の城郭シリーズの8番目で、このシリーズまで手を出すと大変なので立ち読みです。この広御殿もバッチリ載っていました。