今福の戦い(大坂冬の陣)

今福の戦い(大坂冬の陣)

大坂城の北側にある鴫野村のさらに北側を大和川が流れ、川を渡った対岸が今福村です。今は大和川でなく寝屋川が流れています。

今は住宅街になっていますが当時は低湿地帯でした。兵が展開できるのは堤の上だけで周りは田んぼという状況です。豊臣方は柵を設け守備していましたが、徳川家康は附城を鴫野と今福に築くため、柵の攻略を佐竹義宣に命じます。佐竹義宣が堤を進み柵に攻めかかっていたところ、大坂城から木村重成が応援に出て反撃したため佐竹勢は後退します。ところが対岸から上杉勢が銃撃するため木村隊も進めず膠着状態になります。

そこへかけつけたのが後藤又兵衛で、ひるむ豊臣方を立て直して堤の上から銃撃を開始し、木村隊が突っ込むことで佐竹勢の先鋒隊が潰走することになります。佐竹義宣も危うくなり家老が討死にする事態となります。対岸の上杉勢に救援を求め、上杉景勝、堀尾忠晴、榊原康勝の軍勢が中州まで降りて側面から銃撃したことで豊臣方が引き上げることになりました。両者、引き分けの戦いでした。

今福の戦いの碑が三郷橋稲荷神社のすぐ横にありますが、何も残っていません。ただ堤の高低差が残っていて、かなり狭い堤の上での戦いが実感できます。真田丸での戦いが始まる2週間前のことです。

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