継体天皇の楠葉宮

楠葉宮

皇統が一度、途絶え王朝が交代したのではと諸説あるのが継体天皇。なんせ応神天皇の5世孫ですから異例な出自になっています。

継体天皇は越前国にいましたが有力豪族達からの誘いで楠葉宮において即位します。この時に活躍したのが河内馬飼首荒籠でした。楠葉周辺は牧(今の牧場)がたくさんあり(京阪沿線には牧野駅があります)、牧を管理していたのが馬飼部で、首長が荒籠でした。当時の馬は物流の要ですので、今でいうと大きなトラックターミナルの理事長みたいな存在でしょう。各地から届く情報を継体天皇に伝えていたようです。

■山城のような楠葉宮
継体天皇を迎えた大伴金村は任那4県の割譲による賄賂事件で失脚、新羅と通じた筑紫君・磐井による反乱事件も起き、朝鮮半島情勢を巻き込み激動の時代でした。当時、中国大陸ー北陸ー琵琶湖ー淀川が情報や物流ルートでしたので楠葉を拠点にしたのでしょう。

楠葉宮に比定されているのが足立寺跡に近い丘の上にある貴船神社で、住宅地の一角に、うっそうとした原生林に囲まれている中にあります。宮は飛鳥板葺宮など平地に作られるのが基本ですが、山城にしようと思えば、できそうな丘の上にありました。

即位19年後まで都を大和に移せませんでしたので緊迫した情勢だったのかもしれません。継体天皇が葬られたのは高槻にある今城塚古墳というのが定説になっています。

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