二田城

二田城
二田城

南海「松ノ浜駅」から南東に向かうと蓮華寺があります。ここが二田(ふつた)城跡。

二田という地名は物部氏の一族である二田氏に由来する名前で二田氏は物部氏の祖である神饒速日尊(にぎはやひのみこと)が降臨した時に、従った二田造の子孫といわれています。まあ河内、和泉といえばやっぱり物部ですねえ。

大化5年(649年)3月に蘇我倉山田石川麻呂が蘇我日向臣の讒言(裏にいたのは鎌足と中大兄皇子)によって山田寺で自殺した時に首を切ったのが物部二田造塩で、このあたりの出身ではと言われています。もっとも筑前国鞍手郡二田郷の説もあります。

南北朝時代には和泉三十六郷士の一人である磯上氏(南郡加守郷の国人)が二田城を築いたようで泉州志には和泉郡二田館主として磯上無仁入道の名前が出てきます。城には堀が巡っていましたが、今では暗渠になってしまい水路は「ホリノカワ」と呼ばれています。

慶安の御触書で有名な慶安元年(1648年)に百万遍の知恩寺から派遣された上人が開祖となって蓮華寺が建立されました。

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