誰が殺した聖徳太子

中宮寺跡
中宮寺跡

法隆寺の隣にあるのが中宮寺。拝観料は600円ですが、「法隆寺を参拝します!」と受付でいうと500円になり、けっこうアバウトです(笑)。近代的な本堂があり、この中にあるのが弥勒菩薩半跏思惟像で国宝になっています。日本史で勉強した天寿国繍帳のレプリカもあります。 

創建当時の中宮寺は現在の中宮寺から東方約400メートルほど行ったところにあり、江戸時代のはじめに今の場所へ移ってきました。もともとの場所に伽藍はなく国の史跡になっていて行った時もちょうど発掘調査をやっていました。創建当時は四天王寺伽藍形式で金堂と塔が一直線に並んでいて聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の宮殿を中宮寺にしたと伝わっています。 

【誰が殺した聖徳太子】 
クックロビンじゃありません(笑)。梅原猛の「隠された十字架」ではありませんが聖徳太子についてはいろいろと不思議な話が残っていて、例えば亡くなったのは推古天皇30年(622年)で、斑鳩宮で倒れ病の床に就きました。それは分かるのですが妃の膳大郎女が、太子が亡くなる前日に亡くなったと記録されています。 

なんとも不可解な話で、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女も2ケ月ほど前に亡くなっています。伝染病なのか暗殺なのか謎につつまれていますが蘇我馬子の子である善徳が真の聖徳太子であり、後に中大兄皇子に暗殺された事実を隠蔽したのではという説もあります。斑鳩は古代ミステリーの宝庫ですねえ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です