牽牛子塚古墳から少し行ったところにあるのが真弓鑵子(かんす)塚古墳。畑の中にこんもりとした山があり、ここが古墳です。鑵子(かんす)とは湯釜のことで玄室の形が湯釜に似ていることから名づけられています。真弓は地名です。
真弓鑵子塚古墳は墳丘が二段になった円墳ですが、最大の特徴は玄室の広さで床面積は奈良県内では見瀬丸山古墳(34㎡)に次ぐ28㎡の広さ(畳18畳分)があります。石舞台古墳は27㎡で、それよりも広いですね。横穴式石室になっています。
被葬者はわかっておらず、このあたり古墳ではミニチュア炊飯具など渡来系要素をもつ遺物が多いことから東漢氏首長一族の川原民直宮(かわはらのたみのあたひみや)ではないかという説があります。
東漢氏は阿知使主を氏祖とする帰化系氏族集団で、軍事力があったため蘇我邸の警備などもしています。真弓鑵子塚古墳を東に行った檜隈が東漢氏の本拠地でした。東漢氏の子孫からは坂上田村麻呂が出ます。また上杉の名跡を継いだ上杉謙信はもともと長尾景虎という名前でしたが、この長尾家が東漢氏の子孫となります。