近鉄田原本線の箸尾駅南側に位置する的場地区にあったのが箸尾城。
箸尾城跡は住宅街になってしまい今は碑だけですが、環濠跡が水路として残っています。箸尾氏は越智・十市・筒井と並ぶ大和四家の一つで、この四家はもともと興福寺や春日神社の荘園管理をしながら力をつけました。興福寺には大乗院門と一乗院門があって、お寺なんですから仲良くすればよいのですが覇権を争い、要はイスラム教のスンニ派とシーア派の争いのようなことが大和のなかで起きていました。箸尾氏は興福寺一条院方です。
箸尾氏は越智氏と組んで筒井氏と争い、筒井順覚によって箸尾城は攻められ落城します。越智氏の支援で復活した箸尾氏は、大和へ進攻してきた松永久秀と組んで筒井順慶と戦ってます。最終的には松永久秀から筒井順慶に帰順しますが、織田信長による大和一国破城令により箸尾城は廃城となります。
春日大社の摂社若宮神社のお祭りである春日若宮おん祭が今も行われていますが、おん祭が始められた1136年から、大和武士による流鏑馬十騎が奉納されていました。大和の武士にとっては矜持でした。これに奉仕したのが長川党の盟主・箸尾氏です。