久々にビッグニュースが飛び込んできましたね。
信長より先に天下人となった三好長慶の飯盛山城から広範囲な石垣が発見されました。おお!!!
城の南側にある千畳敷郭周辺で、推定で長さ30メートル、高さ4メートルの石垣を発見。大東市教育委員会によると今まで発見された石垣約100カ所のうち約半数が、三好長慶が飯盛山城に居城した時期に造られたことが判明しました。
これまで石垣を多用し、それまでの「守る城」から「見せる城」へ変えたのが織田信長の小牧山城からと言われていましたが、それよりも早く三好長慶が「見せる城」を実現していたようです。
飯盛山城は生駒山地の北側に築かれ、河内、摂津、大和、山城が眺められます。麓から見ると今まで見たことがない石垣の城が山上にそびえ視覚効果が高かったでしょうね。三好長慶は織田信長よりも早く足利将軍を追放し、天下人となった人物で、織田信長は三好長慶を手本にしていたようです。三好長慶を支えた松永久秀の多聞城にあった天守閣をまねて安土城天守閣を作ったとも言われています。
G20となっているインテックス大阪からも飯盛山城が眺められますが、どこもニュースで流さないでしょうね。