本町橋の夜討

本町橋
本町橋

真田信繁が真田丸で活躍する大坂冬の陣では堺筋本町でも戦いが行われていました。大阪府よろず支援拠点がある大阪産業創造館のすぐ横に本町橋があります。この本町橋の南に陣を置いていたのが蜂須賀軍です。蜂須賀小六が秀吉の天下取りを助け、その功績で子孫は徳島をおさめることになりました。徳川方として出陣していたのが蜂須賀至鎮です。

本町橋の南を守っていたのが蜂須賀家老だった中村重勝。尾張・中村が本貫ですので秀吉や加藤清正と同じですね。ここに夜討をかけたのが塙団右衛門直之で、寝入っていた蜂須賀郡の兵士はビックリ。中村重勝も討ち取られています。塙団右衛門は広報戦略が得意だったようで、「夜討ちの大将・塙団右衛門直之」の木札をたくさん作り、討ち入り時にばらまかせました。SNSのない時代でしたのでクチコミ効果を狙ったのでしょう。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて、そこで指揮を取っていたそうです。

さて戦死してしまった中村重勝ですが、初代中村勘三郎が息子という説があり、18代中村勘三郎さんが徳島の中村重勝の墓を墓参りしたそうです。本町橋の南というと一華、ぢどり亭あたりが戦いの舞台だったのかなあ。

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