普賢寺

普賢寺
普賢寺

普賢寺(大御堂観音寺)

創建は義淵僧正で、天武天皇の勅願により建てられました。度々、火災に見舞われたようで現在は大御堂だけが再建されています。現在は観音寺という名前ですが古代・中世には普賢寺と呼ばれていました。普賢寺のすぐ横には地祇神社があり、大西氏をはじめとした地侍の氏寺になっていました。

■神君伊賀超え
本能寺の変が起きた頃、徳川家康は堺から京都へ向かう途中にある飯盛山で、本能寺の変を知らされます。本拠地の岡崎を目指すことになり、これが神君伊賀越えです。ルートについては諸説ありますが、飯森山から生駒山地の北側を抜ける尊延寺(枚方)-穂谷ー普賢寺のコースをとったようです。普賢寺からは草内から木津川を渡りました。足利義昭も普賢寺から河内の若江城へ向かいましたので交通の要衝だったようです。

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