堺にある家原大池公園のすぐ横に家原城という碑が建っていますが、城の遺構は残っていません。
家原城を築いたのが松永久秀です。松永久秀は三好長慶をよく補佐していましたが長慶が亡くなった後、三好家では跡目争いが起きます。三好義継を擁する三好三人衆と対立ていた松永久秀は家原城に泉州衆をいれていました。泉州衆は家原城を出て、堺を出撃した畠山高政と合流し、上芝(今の上野芝)で三好義継の軍勢1万3千と戦いますが、敗れて岸和田城に逃れます。
■戦場のメリークリスマス
双方が対峙をしていた時、クリスマス近くだったため、堺に滞在していたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスが、両軍のキリシタン武士に対し、ミサをを呼び掛けました。両陣営のキリシタン武士たち約70名が堺に集まり、ミサを行い食事を共にしました。事実上のクリスマス休戦が行われることになります。
永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を擁して上洛をはたし、畿内を平定した時、松永久秀は信長につくことになります。その前に三好義継は三好三人衆と対立し松永久秀側となっていました。家原城は三好義継の城となっていましたが京都を取り戻そうとした三好三人衆によって攻められ落城します。