光明皇后のお墓が岸和田にある?

光明塚古墳
光明塚古墳

久保田寺の境内にあるのが光明塚古墳。昔は光明皇后塚と呼ばれていたそうですが、光明皇后のお墓は奈良の佐保山東陵にあるので何とも不思議な話です。もともとは直径25メートルから30メートル程度の円墳だったようで、もちろん光明皇后の奈良時代よりも古い時代の古墳です。

久米田寺の近くにある光明池は光明皇后生誕伝説から名づけられましたので、まんざら縁がないわけではなさそうです。光明池というと光明池自動車教習所のCMを思い出しますなあ。

また聖武天皇を補佐したのが橘諸兄、吉備真備、玄昉ですが、橘諸兄は光明皇后と異父兄妹で灌漑用のため池である久米田池を作ったのは行基&橘諸兄コンビです。久米田寺近くの貝吹山古墳は橘諸兄の墓と伝えられていましたが、これも時代があいませんし本来の墓は井手町にあります。

聖武天皇の命のもと橘諸兄や行基が中心になってインフラ整備を行ったことから、そういった伝説が地元で広がっていったようです。

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