持尾城から富田林駅に行く途中にある白木陣屋跡へ寄ってきました。
■伊勢神戸
鈴鹿に桓武平氏の流れをくむ神戸氏がいました。鈴鹿商工会議所近くにある澤城を本拠地にしていましたが新たに伊勢神戸城を造って本拠地を移します。やがて織田信長の伊勢攻めが始まり、滝川一益が侵攻したため、織田方と和睦。養子にうけいれたのが織田信長の3男神戸信孝です。本能寺の変の後、神戸信孝は秀吉と対立し柴田勝家が滅んだ後、秀吉によって自刃させられます。
関ケ原の合戦の後、伊勢神戸には一柳氏が入り、その後、天領になった後に入ったのが石川総長です。
■河内へ
伊勢神戸藩の石川総長は万治3年(1658)大坂城番となって役知料1万石を河内石川・古市郡内で加増され、それまでの伊勢神戸の1万石とあわせて2万石となりました。飛地となった河内の所領を管理する為に築いたのが河南町にある白木陣屋です。3代目の石川総茂の時、常陸国下館に転封となりましたが、河内領と白木陣屋はその後も維持され、明治まで続くことになります。
白木陣屋は高台の上に造られ北、東、南に石垣がめぐらされた要害です。ただ草が生繁っていて石垣がよく見えない点が残念。白木陣屋跡は集落になっています。