東山にあるのが御陵衛士(ごりょうえじ)の屯所。
高台寺塔頭の月真院を屯所にしていたので高台寺党とも呼ばれています。慶応3年に新選組・参謀だった伊東甲子太郎が一派を率いて新選組を離脱します。新選組は基本的に佐幕で伊東甲子太郎は勤王倒幕だったので思想の違いがあったのは事実ですが、単純に近藤や土方のやり方が気にくわなかったのかもしれません。
伊東甲子太郎と一緒に離脱した15名のなかには池田屋事件で活躍した藤堂平助も入っていました。またスパイのため斎藤一も入っています。伊東甲子太郎は藤堂平助と一緒に近江屋にも行き、坂本龍馬に見廻組等が狙っているので土佐藩邸に移れと忠告していますが、ほどなく中岡慎太郎とともに近江屋で暗殺されてしまいました。
結局、新選組は伊東甲子太郎を騙し討ちし油小路七条に遺体を放置します。遺体を引き取りに来た御陵衛士を待ち伏せて藤堂平助ら3名が討死し、これが世に名高い油小路事件です。
御陵衛士の何名かは生き残り、伏見街道の民家で近藤勇を狙撃し、右肩に重傷を負わせます。また近藤勇が偽名を使って流山で捕まった時に新政府軍に入っていた元御陵衛士に正体を見破られ斬首となりました。