疫病シリーズ No4は応天門の放火犯とされた伴善男です。
貞観8年(866年)、応天門の変が起きます。応天門が放火され大納言・伴善男が犯人であるとされ伊豆に流罪となります。国宝「伴大納言絵詞」はこの事件を描いており応天門が燃えているのを見る群衆が日本史の教科書に出ていました。この時、事件の処理に当たったのが藤原良房。どうもうまく伴善男をはめたようで結局は古代からの名族だった伴氏(大伴氏)と紀氏の追い落としに成功しました。冤罪だったようです。
今昔物語には国中に疫病が流行った時に伴善男の幽霊が現れ、自身は行疫流行神となったが国に仕えた時の恩があるので本来は疫病で国中の者が病死するはずのところを咳程度でおさえていると言って立ち去ったそうです。
■藤原氏への憂さ晴らしだった竹取物語
藤原氏以外の氏族を追い落とすことで藤原氏は全盛時代を迎えます。そして出来上がったのが竹取物語。朝ドラの「エール」にもモチーフとして出てきます。かぐや姫に求愛する5人の公達がいますが4人は古代の官僚名簿「公卿補任」の文武5年(701)に出てくる名前と同じ。一人だけ違っているのが、くらもちの皇子です。この名前は公卿補任に出てきません。藤原不比等の母親が車持氏(くるまもち)の出身で、語呂が似ているから隠語的に使ったのではという説です。藤原の全盛期に小説とはいえ、あからさまにはできなかったようです。竹取物語では「くらもちの皇子」をこき下ろし、ラストは、かぐや姫が汚きところから月へ戻るシーンですが、意味は藤原が支配する汚きところでしょう。竹取物語の作者は分かっていませんが紀貫之ら紀氏ではないかと言われています。