菅原道真

疫病シリーズ No6は菅原道真です。

雷神
雷神

右大臣まで急速に出世したこともあり、周りの貴族に疎まれていたようで大宰府に左遷、延喜3年(903年)に亡くなります。さて、ここからが大変です。「北野天神縁起絵巻」によれば、道真が死んでまもない夏の夜、比叡山の僧侶のもとに道真が現れて「怨みを晴らす」と告げたと言います。さあ、怨霊の宣戦布告です。

延喜8年(908)、藤原菅根が雷に打たれて落命。翌年には藤原時平が病死。延喜13年(913)源光が鷹狩りの最中に泥沼に転落して溺死。延喜23年(923)藤原時平の妹と醍醐天皇の間に生まれた皇太子・保明親王が、満19歳で死去。と立て続けに道長の左遷に関わった関係者の死が続き、人々は「道真公の祟りだ」と噂します。

■清涼殿落雷事件がとどめに
疫病が流行り、923年疫病を鎮めるために「延長」と改元します。延長2年4月左遷の詔をした醍醐天皇は道真を右大臣に戻す詔を出しますが効果なし。翌年には藤原時平外孫で、皇太孫が数え年5歳で薨去し、当然、出てくる言葉は「道長公の祟り」!

そしてあの有名な事件が起きます!
延長8年(930)清涼殿で雨乞いについて会議をしていると、あっという間に都の上空に黒雲が垂れ込め雷雨が降り注ぎます。そして清涼殿に雷が直撃。藤原清貫が衣服に燃え移った火で即死、他にも公卿4人が死亡、警備の近衛兵も2名死亡します。この清涼殿落雷事件で体調を崩した醍醐天皇は朱雀天皇に譲位しますが7日後に亡くなります。

■武士の時代へ
震えあがったのが朝廷で、北野天満宮を作り菅原道真を祀ることになります。しかし疫病がまた流行。東では平将門の乱、西では藤原純友の乱がおき、新たな怨霊である平将門が誕生し、平将門を鎮めるために神田明神ができます。

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