枚方市駅から超ひらパー兄さん(岡田准一)で有名な枚方公園駅へ向かう時、京阪電車は大きくカーブしながら丘の横を通ります。この丘の上にあるのが御茶屋御殿跡展望広場公園。眼下には京阪電車と京街道、淀川、高槻の街が見えます。
枚方城・城主の本多政康は秀吉に従いましたが、秀吉は本多政康の娘である乙御前を側室にします。まあ側室が20人近くいて女好きで有名な秀吉ですからねえ。文禄四年(1595)に乙御前のために丘の上にお茶屋御殿を建てました。
秀吉が死んだあと、大坂夏の陣で本多政康は討死し、枚方城は廃城になります。ただ御茶屋御殿は残っていたようで、徳川秀忠の宿泊施設として改装されました。その後、延宝七年(1679)に起きた枚方宿の火災で焼失したと伝えられます。
御茶屋御殿は枚方城跡とは小さな谷を隔てたと高台にあち、出城を造るにはもってこいの位置ですね。