天文18年(1549)6月12日~24日、上新庄にある大阪経済大学の近くで行われたのが江口の戦いです。争ったのは三好長慶と同族の三好政長で三好の総裁をどちらがとるかの戦いでした。
淀川と神崎川によって三方を囲まれた要害の地に江口城がありました。淀川の流域が大きく変わったこともあり今は住宅地に埋没していますが、大隅神社があったあたりと言われています。
三好政長が江口城で籠城していましたが、三好長慶が包囲して兵糧攻めにし孤立させます。三好政長は後詰になる近江の六角氏を待っていましたが、六角軍が江口城に到着する直前に三好長慶が江口城を攻め、疲弊していた政長軍は持ちこたえられず落城し、三好政長は討死します。江口城は三好長慶側の中川重清(中川清秀の父)が城主を勤めることになりました。