海石榴市と書いて「つばいち」と読みます。
大坂の港から付け替え前の大和川を遡っていくと三輪山の麓につき、ここに港がありました。近くには欽明天皇の宮もあり、飛鳥もすぐ近くです。港の近くなので物資が多く集まり、海石榴市という市がありました。
万葉集には市を題材にした歌も出てきます。「海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも」で、意味は市のいくつにも道が分岐する辻で、互いを紐で結び合い、踊りに踊るが結び合った紐を、今解くのは惜しい、のような感じです。Shall we ダンスの世界ですね。
■歌ができないとモテない時代
合コンがあり、当時は歌垣と言って歌を交わして想いを伝えました。ということは歌ができることがモテるための必須条件でした。でも、絶対に代作を頼んで必死で覚えたやつがいるでしょうねえ。
万葉集には東歌、防人歌が出てきますので、歌は庶民の基礎教養だったのでしょう。