海石榴市から山の辺の道がスタートし、三輪神社へ行く手前に磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)があります。
第10代、崇神天皇の宮で、崇神天皇は実在した天皇と考えられています。崇神天皇の時代、新型コロナのように国中に疫病が蔓延。大物主大神の意に従い、子孫となる大田田根子を探し出してお祀りしたことから疫病がおさまり、大神神社となりました。
■四道将軍
崇神天皇は東海、北陸、西国、丹波の四方に将軍(四道将軍)を派遣します。北陸道と東海道を進んだ将軍が出会った場所が会津となりました。実際に日本中に大和朝廷の力を拡げるための派遣があったようで前方後円墳が全国に拡がるのと重なっています。また西道に行った吉備津彦が桃太郎のモデルになりました。
戸口を調査して初めて課役を科した天皇としても有名です。今でいうと国勢調査を行って所得税をとったということですね。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれます。初めて国をおさめたという意味です。御肇国天皇は神武天皇にも使われるため、崇神天皇と神武天皇は同一人物ではないかともいわれています。