面塚(結崎)

結崎があるのが奈良県川西町。観光キャッチフレーズが「室町時代、空から能面とネギが降ってきた!」と、ぶっ飛んでいますなあ。

面塚
面塚

なんでも空に大きな音が響き、翁の面とネギが降ってきたそうで。降ってきた能面は塚に納められ、ネギ(大和野菜のネブカ)は近くで栽培されて評判になったそうです。他には観阿弥が夢を見たという説もあり、夢に見た場所へ行ってみると本当に能面とネギが落ちていたそうです。塚に納めたところが面塚となり、観世発祥之地の碑が建っています。

■お父さんの観阿弥
能を大成したのが観阿弥・世阿弥親子です。観阿弥は一説では伊賀出身で楠木正成の甥と言われています。名張には観阿弥創座之地の碑が建っています。やがて興福寺、春日神社などの神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座の一員となり大和や都で活躍をします。結崎座という名前ですが結崎とはそれほど縁がなかったという説もあります。ただ結崎観世会を作るなど街をあげて能を推奨しています。

■世阿弥
息子の世阿弥はさらに能を発展させ、「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」などの言葉で有名な演劇書「風姿花伝」を執筆します。能は足利幕府が庇護したこともあり茶の湯のように戦国武将の嗜みになっていきます。秀吉なんかは家康と前田利家とトリオで天皇の前で自ら演じたりしています。また『明智討』『柴田』など自分の活躍を演目にした能も作らせています。

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