小谷城の本丸北側には深さ10m×幅15m×長さ40mからなる大堀切があり。ここから上部と下部を明確に分断しています。ようこんな堀切を造りましたね。すごい土木量です。
本丸を中心に活躍していたのが浅井長政で上部にいたのが父親の浅井久政です。まあ2世代住宅みたいなものなので大堀切で区分けしていたのでしょう。
織田信長の小谷城攻めでは、秀吉が夜半に清水谷からこの中心部に攻め込み、浅井久政が籠る小丸と、浅井長政が籠城する本丸を分断し、落城に追い込むことになります。
小谷城の本丸北側には深さ10m×幅15m×長さ40mからなる大堀切があり。ここから上部と下部を明確に分断しています。ようこんな堀切を造りましたね。すごい土木量です。
本丸を中心に活躍していたのが浅井長政で上部にいたのが父親の浅井久政です。まあ2世代住宅みたいなものなので大堀切で区分けしていたのでしょう。
織田信長の小谷城攻めでは、秀吉が夜半に清水谷からこの中心部に攻め込み、浅井久政が籠る小丸と、浅井長政が籠城する本丸を分断し、落城に追い込むことになります。