久宝寺城は河内守護であった畠山氏の城でした。
畠山満基が河内国渋川郡を領有したことから渋川氏を名乗ります。渋川郷は久宝寺など八尾の一部、東大阪の一部や生野区なども含む広大な土地でした。やがて播磨国の安井郷に移封されたことから安井氏を名乗ります。安井定重、定正という兄弟は織田信長に仕え、本願寺との戦いで戦死。末弟である安井定次が家をつぎ、久宝寺に住んでいたようです。少し前まで土塁もあったようですが現在は碑しか残っていません。また城土居という字名が残っています。
■道頓堀、天地明察
安井定次と子供(諸説あり)の安井成安は秀吉に仕え、安井成安(道頓)が開削したのが道頓堀です。安井家は囲碁の家元四家の一つにもなっていますし、小説や映画で有名な「天地明察」の主人公は天文暦学者の安井算哲(渋川春海)でした。畠山満基時代の渋川を名乗っていました。