江戸の城下町造りのために掘られた小名木川、江戸時代に付け替えられた大和川など人の手にかかって整備された川は直線的になります。平城京造営にあわせて掘られたのが西堀川で現在の秋篠川になります。
物資を運ぶには船が最適でしたので平城京や薬師寺などの造営や西市に物資を運ぶ水路として使われました。西市船着場から物資を荷揚げして西市に運んでいました。薬師寺の塔や三笠山も見え風光明媚です。
豊臣秀吉の家臣だった増田長盛(五奉行の一人)が大和郡山城を整備することになり、秋篠川の流路やため池などを外堀に使うため秋篠川の流れを奈良口で東に90度曲げて佐保川につなげました。奈良口は九条公園の所で地図で見ると見事に曲がっています。
古代の西堀川(秋篠川)沿いには京奈和自転車道が走っており、2021年4月に京都嵐山~奈良~和歌山港まで180kmがつながりました。