今城塚古墳の近くを歩いていると氷室町といういかにも涼しげな看板が。
本当にこんな所に氷室があったんですかねえ。炎天下を歩いていると、にわかに信じられません。
日本書紀・仁徳記に氷室の記事が出てきますが、これはどうやら奈良県都祁(つげ)の福住で発見された氷室跡のことと言われています。氷室は山中に深い穴を掘り、底に茅を敷いて、その上に冬に降り積もった雪を置き、さらに枯れ草や杉皮などで覆い夏まで貯蔵します。これが取り出され宮廷にまで運ばれました。
長屋王邸から発見された木簡では都祁から運んだ氷で日本酒オンザロックを楽しんでいたようです。夏にオンザロックは今も昔も最高ですね。
日本書紀に出てくる記事は仁徳記が最初ですが朝廷が管理した氷室は、山城国、近江国、丹波などにもありましたので高槻にもあったかもしれません。そういえば京都の西賀茂にも氷室町がありました。