国立博物館で奈良博三昧をやっていて、展示されている古文書を見ていると紫微中台の文字が!!
紫微中台だ~あ!
紫微中台って何か分かりますか。よみは「しびのちゅうだい」です。
もともとは臣下出身から初の皇后となった光明皇后のために作られた皇后宮職があり、これを唐風の名前に改めて発足させます。横文字のデジタル庁みたいなものですね。
■紫微中台
律令制度にない新設の官職(令外官)で聖武天皇と光明子の娘である孝謙天皇を補佐するために749年に設置されました。トップになったのが藤原仲麻呂、そうです恵美押勝です。権限を握ったこともあり、橘諸兄、吉備真備、道鏡などオールスターとの政変になります。仲麻呂の後ろだてだった光明皇太后が760年に亡くなると、紫微中台も廃止されます。
■藤原仲麻呂の乱
そして起きるのが藤原仲麻呂の乱。平城京を脱して息子が国司をしている越前を目指す藤原仲麻呂ですが立ちはだかるのが吉備真備です。吉備真備は70歳と高齢でしたが唐で軍略などを学んでおり、仲麻呂の先回りして三関を閉め、琵琶湖の西側に追い込みます。現在の近江高島あたりにあった三尾城あたりで仲麻呂は最後を遂げます。
10年ちょっとの紫微中台の文字が古文書に残っているんですねえ!