奈良博三昧には天平宝字2(758)年に書かれた休暇届もありました。万昆嶋主が勤務先の写経所に提出したものです。
なんでも親戚(父親の姉妹?)が重病になり、起きることができない状態となったため、看病をしていたが病状が回復しなかったので、さらに4ケ日の休暇を願い出たものです。他に看病する人がいないとも書かれています。
天平時代は天然痘が大流行し、藤原四兄弟が次々に亡くなった時期です。新羅に派遣されていた遣新羅遣から全国に拡がったのが原因のようです。重病の原因が天然痘なら、万昆嶋主が提出したのは今でいうコロナ特別休暇願いですね。
いまと同じようにパンデミックによる社会不安が起きます。ワクチンなどの有効策がないため聖武天皇が考えたのが全国に国分寺を建てて、金光明最勝王経による疫病バリアをはりめぐらせることでした。バリアの中心となるのが奈良の大仏になります。