羽曳野市商工会の目の前にあるのが峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)。世界文化遺産・古市古墳群の中にあり5世紀末頃につくられたようです。前方後円墳で上に登ることができ、眺めはいいですね。発掘で二重濠があったことが判明しており、被葬者は大王級の権力のある人物と想定されています。今城塚古墳と同様に「会いに行ける大王墓」です。
古墳群はもともと大和の東側にありオオヤマト古墳群を形成していましたが北の佐紀古墳群へと移り、西の馬見古墳群が作られ、やがて百舌鳥・古市古墳群となります。王権のなかで主流派・反主流派などのいろいろな動きから分裂していったようです。
■大坂の陣 誉田の戦い
戦国時代となり羽曳野一帯は大坂夏の陣の舞台となりました。道明寺・誉田の戦いでは応神天皇陵や仲哀天皇陵などを中心に真田信繁、毛利勝永、薄田兼相、明石全登らが防衛線をひきます。古墳が密集しているので徳川軍が進むには古墳と古墳の間を分散して進むしかありません。
大軍の利点をなくして迎え撃つ作戦でしたが八尾・若江の敗戦が伝わり、大坂城へ引き返すことになります。峯ヶ塚古墳の上からも徳川軍を眺めていたかもしれません。