河内国・国分寺から大和川をはさんだ対面にあったのが竹原井頓宮跡地です。頓宮(とんぐう)とは仮の宮のことを言います。頓宮跡だと期待して現地に行っても何もなく広っぽい平地があるだけですのでご注意を。
続日本紀に養老元年(717)、元正天皇が和泉宮から平城宮へ還る途中に、竹原井頓宮に宿泊したという記事が出てきます。聖武天皇も難波宮へ向かう途中に竹原井頓宮跡地でよく泊まっていました。
平城京から難波宮へ向かうには斑鳩を通って龍田道に入り、亀の瀬を通っていきますが、竹原井頓宮は河内国にちょうど入ったところにあります。平城京と難波京のちょうど真ん中でしたので宿泊地にはよかったのでしょう。しかも大和川が湾曲するところで吉野宮(宮滝遺跡)に場所が似ています。
竹原井頓宮は光仁天皇の頃まで使われていましたが、長岡京遷都に伴って解体され、建築資材として大和川・淀川水運を利用して大山崎へ運ばれました。