鳥坂寺跡から智識寺跡を目指そうと柏原市歩いていると安堂太平寺共同墓地に木沢長政の墓を発見!
調べてみると木沢長政の遺族が五輪塔を建立した可能性が高そうです。
木沢長政といえば飯森山城を築城した人物です。守護である畠山氏の有力な被官でしたが、力があり信貴山城や二上山城を築城しています。三好の遺児である三好長慶を畠山晴元のもとへ帰参させたのも木沢長政でした。畠山の家中はかなりグチャグチャで、ここに三好長慶、遊佐長教、室町将軍、一向宗、法華宗、筒井などがからんで、さらにグチャグチャになります。
河内や摂津の山城関係で必ず名前が出てくるのが木沢長政です。10年にわたり畿内で権勢をふるっていた木沢長政は最後に孤立することになり、遊佐軍、三好軍との戦いとなります。これが太平寺の戦いで、カタシモワイナリー付近で戦われ木沢長政は討ち死にします。この後に台頭するのが信長の前に天下人となった三好長慶です。
そうか、あの木沢長政の墓があったのか!