東六甲砕石場

■太閤さんの城
大坂の陣で豊臣を滅ぼした徳川は秀吉が築いた大坂城を徹底的に破壊しようとします。石垣ごと土に埋めて、新たに石垣を造り直します。ところが宣伝としてはうまくいってなかったようで、昭和の初めまで大阪人は城の土台を『太閤さん』が造ったものと信じ込んでいました。

東六甲砕石場
東六甲砕石場

昭和34年に秀吉時代の石垣が地中から発見され、現存している石垣は徳川時代にものと分かりました。この時に大阪市からしばらく発表しないように要請があったそうで、理由は石垣が徳川製と分かると大阪市民がショックで倒れるからということでした。

■東六甲採石場
新しい大坂城を造るには大量の石垣が必要です。小豆島や石切にも砕石場がありますが、甲山近くにもあります。甲山森林公園に東六甲採石場があり、古墳時代から石切場だったようで石丁場の跡や、現地に放置された石材(残石)が数多く残っています。

仏性ケ原の頂上付近の斜面にも矢穴が残された石がたくさんありました。近くに仁川が流れていますが、高い山から石を降ろすのは大変だったでしょうね。仁川からは武庫川を通じて大坂城へ運んだのでしょう。

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