大政奉還の舞台となった現在の二条城ができる前に、いろいろと二条城がありました。まずは足利義昭の二条城です。織田信長が足利義昭を奉じて上洛。義昭は将軍に就任し仮の御所である本圀寺に入ります。信長が岐阜に帰ったすきをついて三好三人衆らが将軍を襲撃します(本圀寺の変)。
「麒麟がくる」では十兵衛(明智光秀)が米蔵の地下にある部屋に義昭を匿っていました。義昭の側近らが必死に奮戦し撃退します。信長もかけつけ足利義昭の無事を確認。城が必要だと認識した信長が造ったのが二条城です。武衛陣の跡地を中心に堀などをもうけた本格的な城を造ります。信長自身が普請総奉行として現地で陣頭指揮をとります。
ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが初めて織田信長とあったのが、この二条城の工事現場。信長は堀の橋の上で待っていたと著書「日本史」に書いています。よくドラマや映画などで描かれるシーンです。二条城には二重の堀があったとも記載されており、2012年に内堀跡が発見されフロイスの記載通りでした。