皆さん、よくご存じのように筒井家の本拠は近鉄・筒井駅近くにある筒井城でした。平城でしたが周りが湿地でしたので備中高松城のように攻めにくい城です。戦国時代、何かあった時のために詰城を築くことがBCP(事業継続計画)の基本でした。例えば武田氏は躑躅ヶ崎館を平時に使い、なにかあれば詰城の要害山城に立て籠ります。ちなみに武田信玄は戦のさなか、要害山城で誕生しています。
筒井氏の詰城は筒井城からまっすぐ東に行った椿尾上城です。作ったのは筒井順慶のお父さんである筒井順昭。永禄2年(1559年)に松永久秀が大和を攻めてきた時に筒井城が陥落したことから椿尾上城を中心に松永久秀と対抗します。信貴山城の戦いで松永久秀が滅び、筒井順慶の時代になると織田信長の破城令に従い、大和国では筒井城を破却して大和郡山城の一城とし、また大和守護職にも任ぜられます。
■椿尾上城
椿尾上城ですが複雑な構造になっています。主郭には空堀にある土橋を通って登りますが、五社大明神が祀られています。後ろの土塁を登ると、ここが標高528.7mの城山頂上になります。畝状竪堀群や櫓台跡、鈎状に屈折した横堀など見どころがたくさん。ところどころに石積みが残っています。