敏満寺城

多賀大社から少し行ったところに敏満寺城があります。彦根へ行った目的地はこちらで、多賀大社はついでに参拝してきました。

敏満寺城
敏満寺城

敏満寺という名前がついているので、もともとは寺ですが戦国時代の寺は、ほぼ城塞です。信長が10年もの間、石山本願寺を攻めましたが、それでも落とせなかったのは石山本願寺が強固な城塞だったからです。敏満寺城は天台宗寺院が城塞化したもので僧兵を揃え、室町時代には守護佐々木氏や京極氏と度々対立していました。

1562年(永禄5年)、浅井長政が六角氏側に寝返った久徳氏を攻めた時に久徳氏に味方していた敏満寺城を攻撃し、かなりの坊舎が焼失しました。1572年(元亀3年)頃には信長包囲網に加わっていたために、残りの坊舎も焼かれ寺領も取り上げられてしまいます。この後は衰微したようです。彦根城を造る時に礎石などは運びさられました。

やがて名神が通り、多賀サービスエリアが造られることになって発掘調査の結果、土塁、空堀などの山城跡が出てきました。一部が保存されていて郭跡などが見晴らしスペースになっています。ドッグランがあるところも郭跡で周りを土塁と櫓台が取り囲んでいました。多賀サービスエリアは徒歩なら外からも入れるようになって城跡が見学できます。もっとも犬を遊ばせている人はいましたが土塁に登っているような人は皆無でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です