法界寺山ノ上付城

這田村法界寺山ノ上付城法界寺の背後の山上にある付城です。天正7年(1579)4月に織田信忠が築いた6箇所の付城の1つで三木城を見通すことができます。城主は、羽柴秀吉の重臣・宮部継潤と伝わっています。

法界寺山ノ上付城
法界寺山ノ上付城

■宮部継潤
宮部継潤の出身は近江・国友近くの宮部です。秀吉の中国攻めでは山陽を秀長が山陰を宮部継潤が指揮していました。やがて鳥取城主となり、秀吉が山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いと東に転進するなか西を守ります。秀吉の信頼が厚かったんですね。晩年は秀吉の御伽衆になります。

這田村法界寺山ノ上付城は大規模な付城で主郭、副郭と兵の駐屯地である段状の平坦地群が残っています。毛利方が明石から三木城へ兵糧を搬入するのを防ぐための最前線でした。また6条からなる土塁(朝日ヶ丘土塁)が残っていて、なかなか見ごたえがあります。

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