「どうする家康」、金ヶ崎の退き口と思ったとたんに先週は姉川の合戦、次回は信玄との対峙のようです。
家康にとって苦難の年だったのが元亀元年(1570)で家康29歳の時。4月に信長について朝倉攻めに加わったら、まさかの浅井長政の裏切り。金ケ崎城で秀吉、光秀とともに殿(しんがり)を勤め、なんとか京都に帰りつきます。6月には姉川の合戦で朝倉・浅井連合軍と戦います。写真は信長が姉川の合戦で陣を置いたところで家康は少し西に陣を置きました。信長がここから姉川の戦況を見ていました。
9月には三好三人衆を攻撃するために摂津・福島に陣を敷いていた織田軍を突如、石山本願寺が攻撃。信長と石山本願寺との10年戦争がはじまります。浜松城を造り、入城した2日後に足利義昭から信長に加勢するように依頼が来て、摂津へ出陣することになります。大忙しの1年でした。