文禄堤

文禄堤

秀吉が朝鮮出兵したのが文禄・慶長の役です。文禄は1592年~1596年までの期間ですが、この時に淀川左岸の堤防道を造りました。これが文禄堤で守口に一部が残っています。枚方から長柄(大阪)まで続く全長27kmの大堤防で、秀吉が毛利(毛利輝元、小早川隆景、吉川広家)に命じて作らせました。また堤防の上には大阪ー京都を結ぶ京街道が整備されます。高い土地の一角が守口宿跡に残っていて京阪守口駅のすぐ近くに文禄堤の断面図を見ることができます。高台になった京街道を歩くのは、なかなか風情があります。

文禄3年に秀吉は伏見城を造っていて、伏見を物流基地にするため宇治川・淀川等の付け替えなど大規模な治水工事を行っています。巨椋池への流路などを大きく変えて、太閤堤と呼ばれました。秀吉といえば大々的な土木工事で戦をした人物でした。秀吉が行った都市の大改造が今も京都や大阪にそのまま残っています。

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