髭茶屋追分

髭茶屋追分

「これやこの 行くも帰るも 別れては...」で有名な逢坂の関を超えて、山科に入ると髭茶屋追分があります。道が二手に分かれていて右に降りて行くと山科駅前を通って蹴上から三条大橋に至る京都への道です。左に坂を降りていくと京街道が始まり、大宅一里塚を通って、いわゆる東海道57次になります。

大津宿から、山科を越えて54次目の伏見となり、淀、枚方、守口の4宿で57次です。東海道が京街道へ延伸して57次として制定されたのは元和5年(1619年)ですので、豊臣家が滅んだ大坂の陣(1615年)から、わずか4年後になります。参勤交代の大名行列は、この髭茶屋追分から左に入るルートを通るように決められました。

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