大日本帝国陸地測量部が発行した大正元年の奈良広域図で尼辻あたりを見ると暗越奈良街道が記載されています。難波から生駒山地の暗峠を越えて平城京に至る街道で、尼辻を過ぎて坂を下れば朱雀門はすぐ先です。
■垂仁天皇陵
尼辻の西側に近鉄橿原線からよく見える垂仁天皇陵がありますが、地図を見ると天皇陵に沿った路が暗越奈良街道になっています。Googleマップでは上側のまっすぐな道が暗越奈良街道になっていて、どっちが正しいのでしょう。
さらに西に向かうと途中で2つの道は合流しています。垂仁天皇陵は古墳時代初め(5世紀初め)に造られていますので古墳を周遊する道が本来の暗越奈良街道である可能性が大です。
■倍塚はフェークニュース
垂仁天皇陵といえば湖の中に田道間守の倍塚があることで有名です。田道間守は垂任天皇の命令で常世の国へ行き、10年かかって「非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)」を探し出してきました。ところが既に天皇は亡くなっており、田道間守も自殺し、この倍塚に葬られます。ところが元禄年間の山稜図にこの倍塚は出てこず、幕末の尊王思想が高まった時に古墳を取り巻く堤の一部を、それらしく島に改変した説が有力です。オイオイ!
ちなみに垂仁天皇の娘が倭姫命で伊勢神宮を今の場所に定めた人物です。また甥の日本武尊に草薙剣を与えています。