天神山砦

天神山砦

JR余呉駅からずっと北へ行ったところに天神山砦があります。天神山砦へは草岡神社の裏側から動物除け柵の入口を通ると遊歩道があるという事前の情報をチェックして向かったのですが、行ってみたら藪の中。ようやく柵の入口を見つけても遊歩道は見つかりません。ひたすら急坂を登るだけで、かってあった遊歩道は山道に変貌していました。何とか苦労して砦の虎口に到達。

天神山砦は天正11年(1583年)に起きた賎ヶ岳合戦で秀吉方が築いた砦です。賎ヶ岳合戦では柴田勝家側も秀吉側も、たくさんの砦を作り、均衡状態になります。天神山砦は最前線の砦として築かれました。最前線なので、けっこう大きな陣城になっていて東西二郭を中心としており、西郭の方が高所にありましたから主郭だったのでしょう。土塁が巡った郭が続き、郭の間は堀切で区切られています。

かなりの土木工事で砦を作りましたが、柴田勝家側の佐久間盛政が天神山砦を俯瞰できる行市山砦に布陣したことから、不利になりました。秀吉は天神山砦と茶臼山砦(遺構はほぼなくなっています)を破棄して、東野山城・堂木山砦・神明山砦まで前線を下げます。

Redball2023

RedBall

AllAboutガイドが年1回集まるのがRedBallというイベント。全国や海外からガイドが集まります。事業説明の後はパーティで、色々なガイドと会えるので、ほぼこっちが目的です。会場は最初はリクルートGINZAビルが多かったのですが、恵比寿の本社近くや東京駅横のグラントウキョウサウスタワーなど、いろいろなところでやっていました。

ところが、コロナ禍以降はオンライン開催になっています。RedBallは土曜開催なのでリアル開催時は金曜に東京へ出て、お世話になっている先を挨拶周りしていたのですが、とんと、ご無沙汰です。やっぱりリアル開催で懇親会がないと、味気ないですね。

とは言いながら最後のクイズ大会で賞品が当たったので大満足です!現金なものです。

海住山寺のサンクコスト

海住山寺

恭仁京近くに、海住山寺への案内がありました。山の中腹にある寺ということで、山の方を見ると、確かに中腹に白く巨大な看板のようなものが見えます。ちょっと登れば着きそうだなということで坂を登りはじめます。ようやく白い看板にたどりつくと高台なので眺めがよく加茂の街が一望できます。

■サンクコスト
たどりついた看板に海住山寺と大きく書かれていますが、単に参道の案内で、お寺の場所は、かなり坂を登ったところにあります。「えー、どうする! せっかくここまで登ったんだから最後まで登るか」と考え、坂登りを続けます。この、もったいないと考えることをサンクコスト(埋没費用)といいます。サンクコストとは、過去に払ってしまい、もはや取り戻すことができない費用を指します。今後に関する意思決定では、サンクコストは考慮に入れず、今後の損益をだけを考えるのが合理的な判断するのが王道ですが、そうはいきませんねえ(笑)。

ということでエッチラオッチラ登って五合目を通過。またかなり登って、ようやく海住山寺にたどりつきました。 聖武天皇の勅願で創建した寺のようで国宝の五重塔などがあります。

恭仁京

恭仁京

甲賀へ行くには草津駅経由と柘植駅経由の2つがあります。たまには柘植駅経由にしようと奈良駅から加茂駅まで出たらJR関西線が運休していました。火曜日の昼間時間帯に集中保守工事をするそうで、人手不足で昼にするしかないそうです。そんなん奈良駅で告知してよ!と加茂駅で言っていたら帰りに奈良駅で告知されていました。代行バスが出るそうですが時間がかかるので甲賀はあきらめて恭仁京巡りへ変更。

■恭仁京
聖武天皇が平城京を出て謎の彷徨を行います。九州で藤原広嗣が乱を起こし、疫病が流行する不穏な世の中で、もう一度、律令体制の初心に皆を戻すために壬申の乱の道をたどったのが真相のようです。もう一つ、廬舎那仏(いわゆる大仏)と各地に国分寺を建立して日本中を仏教バリアで疫病から守る構想でした。彷徨の最後は平城京に戻らずに恭仁京を作って遷都します。唐で西の都「長安」に対して東の都「洛陽」があったのにならいました。留学帰りの玄昉や吉備真備から得た知識でしょう。

恭仁京近くの玉水に橘諸兄の本拠地があり、恭仁京の整備は橘諸兄が行いました。大極殿は平城京から移築されました。しかし甲賀寺での大仏建立がうまくいかなかったため平城京に戻りますが、恭仁京跡は国分寺として整備されることになり大極殿はそのまま金堂として再利用されます。新たに塔が建てられます。今は礎石跡が残っています。

38年ぶり阪神優勝

阪神

前回、阪神が優勝したのが1985年。通信の自由化が行われた年です。日本電信電話公社がNTTとなり、家庭でいえば黒電話がなくなってカラフルな電話が登場した時です。ちょうどプログラマーをやっており、働き改革なんて言葉の登場以前ですから終電で帰る毎日。上新庄の賃貸住宅で貴重な睡眠時間を確保して寝てたら、朝5時ぐらいに六甲おろしをトランペットの演奏とともに歌っている一団が行進していきます。しかも住宅街の中を!「勘弁してくれ!」が阪神優勝の印象ですね。もっとも21年ぶりの優勝だったので、ビール1本目21円という破格値の居酒屋には行っておりました。(笑)

やがて優勝から遠ざかり、道頓堀に沈めた「カーネル・サンダースの呪い」だというまことしやかな噂が流れます。「探偵!ナイトスクープ」が道頓堀を探しましたが見つからず、2009年にようやく発見されます。ですが結局、2023年まで優勝はおあずけ。呪いがとけるまで14年かかることになります。平安時代のようにカーネル・サンダースを祭る御霊神社を建立すれば、もう少し短くなったかもしれません。38年ぶりなんでビール1本目38円の居酒屋は登場しないかなあ!

ファイティングコンサルタンツ秋の遠足

今井町
  • 創建時の崇高な思いはどこへやら、単なる飲み会組織に変貌したファイティング・コンサルタンツ秋の遠足です。今回は橿原(奈良)が舞台で、高低差があるところはダメだとか、たくさん歩くのはいやだとか、ワガママの数々に配慮して、いたってオーソドックなコースです。近鉄・橿原神宮前駅に集合、まずは駅構内にあるお店でランチという名前の宴。珍しく宴は早めに終わって橿原神宮を参拝し、そのまま橿原考古学研究所附属博物館へ。
  • ラッキーなことに古事記を編纂した太安萬侶展をやっていました。昭和54年(1979)に奈良の田舎で太安萬侶の墓誌が発見され大ニュースになりましたが、最近の研究では笠縫駅近くの多にある太安万侶墓伝承地に最初に葬られて移されたようです。
  • 秋の遠足のメインは今井町です。今井町は環濠集落になっていて、大半の町家が大切に保存されています。電線も地中化されていて江戸の風景がそのまま残っているような町です。日中は観光客が多いのですが黄昏時は少なく雰囲気がいいですね。酒屋へ寄ったり休憩といいながらビールを飲んだりしておりました。

東高野街道をゆく(大和川)

東高野街道をゆく

大和川

国府跡から北上する時、直面するのが大和川です。現在の東高野街道は大和川にかかる橋になっていて、橋のたもとに大和川付け替えの碑がありますが、草むらに埋もれていました。大和川が付け替えられたのは宝永元年(1704)年ですので300年ちょっと前になります。洪水対策で古代から付け替えの挑戦が続いています。有名なのが和気清麻呂の付け替えですが結局、失敗しました。近鉄・河堀口駅(こぼれぐちえき)や大坂の陣の舞台となった茶臼山の河底池に工事の名残があります。和気清麻呂の掘った後は大坂夏の陣の頃まで残っていたようで堀代わりに使われたようです。

江戸時代となり中甚兵衛の尽力により付け替えが実現しました。近鉄・吉田駅近くに中甚兵衛の銅像があります。江戸以前は大和川がたくさんの川に分岐して北上していましたので、東高野街道はもう少し東側で川を渡っていたはずです。とりあえず現在の東高野街道を渡り近鉄・安堂駅から帰ってきました。