恭仁京

恭仁京

甲賀へ行くには草津駅経由と柘植駅経由の2つがあります。たまには柘植駅経由にしようと奈良駅から加茂駅まで出たらJR関西線が運休していました。火曜日の昼間時間帯に集中保守工事をするそうで、人手不足で昼にするしかないそうです。そんなん奈良駅で告知してよ!と加茂駅で言っていたら帰りに奈良駅で告知されていました。代行バスが出るそうですが時間がかかるので甲賀はあきらめて恭仁京巡りへ変更。

■恭仁京
聖武天皇が平城京を出て謎の彷徨を行います。九州で藤原広嗣が乱を起こし、疫病が流行する不穏な世の中で、もう一度、律令体制の初心に皆を戻すために壬申の乱の道をたどったのが真相のようです。もう一つ、廬舎那仏(いわゆる大仏)と各地に国分寺を建立して日本中を仏教バリアで疫病から守る構想でした。彷徨の最後は平城京に戻らずに恭仁京を作って遷都します。唐で西の都「長安」に対して東の都「洛陽」があったのにならいました。留学帰りの玄昉や吉備真備から得た知識でしょう。

恭仁京近くの玉水に橘諸兄の本拠地があり、恭仁京の整備は橘諸兄が行いました。大極殿は平城京から移築されました。しかし甲賀寺での大仏建立がうまくいかなかったため平城京に戻りますが、恭仁京跡は国分寺として整備されることになり大極殿はそのまま金堂として再利用されます。新たに塔が建てられます。今は礎石跡が残っています。

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