洲本城 下の城

洲本城 下の城

慶長14年(1609)、脇坂安治が伊予大洲に移封となり、次は藤堂高虎、池田輝政が淡路を統治した後、大坂の陣の功により、淡路一国が蜂須賀至鎮に加増されます。脇坂安治が整備した山上の洲本城は、登るのがきついためか、山麓に新しく御殿を作りました。これが下の城です。蜂須賀氏は阿波を領地にしており、洲本城には筆頭家老の稲田氏が入りました。現在は淡路文化史料館や検察庁、税務署などが城跡に立ち並んでいます。

蜂須賀家は秀吉に仕えた蜂須賀小六が祖となります。絵本太閤記の影響で夜盗の親分イメージが強いですが、本当は蜂須賀城を拠点にした国衆ですね。もっとも戦国時代なんで後方撹乱、ゲリラ戦などなんでもありでした。明治時代になると蜂須賀侯爵家になりますが、明治天皇を待つ間、明治天皇愛用のタバコを一本くすねた一件があり、「血は争えぬのう、蜂須賀」と明治天皇が笑った逸話が残っています。

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