立石城

立石城

三田・観世寺の奥にある神戸三田メモリアルパークから山道が存在するという事前情報を元に立石城へ。山道を進んでも、城跡らしきものはなくスマホのGPSで確認すると、隣の丘のピークのようです。20メートルほど谷へ降りて、崖を登り返すと郭跡がありました。南北二郭の城で、郭の間は空堀になっていて土橋が架かっていました。土塁も残っていて、郭も広かったです。まあ木立だらけで進めはしますが、全体は見通せません。

「三田市史」によると永禄7年(1564年)に山崎左馬介恒政によって築かれたとありますが、よく分かっていません。三田に拠点を構えていた荒木氏が毛利方につき別所氏などと組んで信長と争っていたため、三田は天正6年(1578)に秀吉によって陣城がいくつも作られ包囲戦が行われました。ですので立石城も陣城の一つかもしれません。立石城の近くにあった蒲公英(タンポポ)城は住宅建築で消滅してしまいました。

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