JR河瀬駅から90分ほど歩くと目加田城にたどりつきます。住宅街の中に高さ3mの土塁などが残っており、現在は公園として整備されています。堀跡などもあり、よく住宅地の中に残りましたね。
目加田氏は愛知郡八木庄、蒲生郡豊浦庄など藤原氏の荘園を管理する荘官からスタートし、鎌倉時代は佐々木六角氏に仕えていました。織田信長が近江に侵攻して、上洛すると信長に降伏して従うようになります。目加田氏は観音寺城の支尾根の一つに目加田城を築いていましたが、この場所が目加田山(今の安土山)でした。信長が安土城を築くにあたり場所を譲って本貫の地に戻ります。これが現在の目加田城です。
本能寺の変で目賀田氏は明智光秀方についたため、羽柴方に捕らえられ切腹は免れるものの浪人となり目加田城は廃城となりました。城の近くにはメカタ姓発祥の地という看板があり、目方、目堅などのメカタ姓は目加田が本貫になります。