佐々木六角氏に仕えた高野瀬氏の城が高野瀬城です。高野瀬氏は愛智氏の分家にあたり、愛智氏の本貫は尾張国愛智郡で愛智義成から始まります。義成のお父さん(義円)は源義経の兄になります。(頼朝とはお母さんが違います)義成のお母さんが常磐御前で母から愛智郡の所領を受け継いだようです。「鎌倉殿の13人」ではブラック義経にそそのかされた義円が墨俣川で討死にするシーンがでてきます。
■高野瀬城
愛智氏の分家が高野瀬へ移り、高野瀬氏を名乗ります。高野瀬城は近江鉄道・豊郷駅の近くにあり、現在は古河オートモーティブパーツの豊郷工場になっていますが一部だけ土塁が残っています。高野瀬隆重が佐々木六角氏の命令で肥田城を築きますが高野瀬城はそのまま使われたようです。この辺りは北近江の浅井長政と南近江の六角承禎の支配の拮抗する境の城でした。
ところが高野瀬氏が浅井長政へ寝返えり、怒った六角承禎が肥田城の水攻めをしますが失敗。織田信長と浅井長政が対立した時には織田方につきました。柴田勝家に仕え、越前出兵で討ち死にしたようです。