大津宮

大津宮

「白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦い」を覚えていますか?
倭の同盟国だった百済を支援していましたが新羅・唐に攻められ滅んだため、中大兄皇子は百済復興のために海外派兵を決定、倭に滞在していた百済の太子を帰国させ戦わせます。結局は白村江の戦いで倭軍は敗北。

実は孝徳天皇や大海人皇子が唐派で中大兄皇子と対立していたのではという説もあり、こうなると朝鮮情勢で対立した物部vs蘇我と同じですね。中大兄皇子は唐・新羅に対抗するため北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて多数の朝鮮式山城を築きます。岡山の鬼ケ城や大阪の高安城はこの時にできました。大宰府では水城など羅城で囲みます。

■なんで大津に遷都?
中大兄皇子は都を飛鳥から大津に移し、天智天皇として即位しますが、なんで大津に遷都したのかが不明です。防御説もありますが敦賀に上陸されて琵琶湖を南下されたら大津はすぐやられます。

天智天皇が亡くなった後に壬申の乱が起き、最後の戦いが瀬田の唐橋で行われ、大友皇子は敗れます。結局、大津宮は5年半だけ使われた幻の都となりました。錦織地域の住宅建築などによる発掘調査で幻の都だった大津宮が見つかりました。住宅地に宮跡が残っています。

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