西国街道をゆく(太田城)

太田城

西国街道を歩いていると太田茶臼山古墳の案内版に太田城の文字を発見。さっそくGoogleマップで検索すると和歌山の水攻めで有名な太田城が出てきました(笑)。次は地名をいれて検索し、ようやく場所が判明。西国街道を少しはずれて、太田城を見てきました。城跡はなく石碑だけですが、微高地になっています。城の前町といった地名が残っていました。

場所は追手門学院大学・茨木総持寺キャンパスのすぐ近くで城下町になっていたところはイオンタウン茨木太田になっていました。太田城はすごく古く平安時代末期、1180年前後に太田頼基が築いたといわれています。多田源氏(摂津源氏)ですが、厳密には源満仲(多田源氏の祖)の次男・頼親に始まる系統です。

「平家物語」によると源義経が頼朝と対立し西国に向けて都落ちする一党に対し、「我が門の前を通しながら、矢一つ射かけであるべきか」と太田頼基が少数の手勢を率いて摂津河原津で義経一党と合戦(河原津の合戦)しますが、多勢に無勢で敗れたそうです。

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